I know that I don't know anything.
しかし、それでもなお、資本主義が終わっているという認識が、人々に広く行き渡っているとは言えないと思う。それは何故かと自問すると、私なりに、5つの解答が思い浮かぶ。
その解答を、まず先に列挙しておこう。
第1に、すっかり全部終わったとまでは言いきれないからである。
第2に、資本主義が終わっているとしても、その時期を確定することが難しいからである。
第3に、「資本主義は終わっている? まさか!」と思われているからである。
第4に、資本主義が終わっていることを論証する的確な言葉を、人々が使っていないからである。すなわち、「バブル」などという言葉を使うから、本当のことが見えなくなっているのである。
第5に、資本主義の次の時代の名称がないから、資本主義の終わりを認識できないのである。
なぜ資本主義が終わっていると認識されていないのか:資本主義は終わっている - CNET Japan歯ブラシは中古品でも構いません。がそれ程高くはないと思いますので出来れば新品をご用意下さい。洗剤は台所用であれば何でも良いと思います。(ファミリーピュア等)
『毛先が細い』がポイントです。『毛先が球』はレコード洗いには向いていません。 レコード盤からCDへ録音する手順
鈴木大翔くんは「スズキ ダイショウ」くんだ。
仮にその名前がヒロトだろうがヤマトだろうがダイキだろうがダイショウだろうが一切の区別なく「ダイショウ」くん、と呼ぶ。
そしてそれは決して失礼ではない、ということを徹底しておく。
大翔(ヒロト)くんは、「ダイショウくん」と呼ばれたら自分の事だな、と認識できるようにしておく。第二の名前のようなものだ。
これは別に今に始まった事ではなく、藤原定家(ふじわらのさだいえ)を「フジワラノテイカ」と呼んだり、伊能忠敬を「イノウ チュウケイ」と呼ぶ方法が日本の文化には存在する。(有職読み、という。本当の名前をあえて呼ばないことで敬意を表する呼び方である)
これを適用すれば、我々は今後珍名奇名、フリーダムすぐる命名の人物の呼称に悩まされる事は少なくともないのではないか。
「光宙」くんは「コウチュウ」くん、と呼べばOK.
たとえ光宙(ピカチュウ)くんであろうが光宙(コウソラ)くんであろうが光宙(ア・バオア・クー)くんであろうが「コウチュウ」呼びで解決だ。
フリーダム過ぎる命名時代に我々はいかに呼ぶべきか251 : マスキングテープ(福岡県):2009/12/05(土) 20:10:50.85 ID:Is5B3adx
というか、鳩山ってもう「民意の鑑」だろ
国がどういうものか分からない、
可哀想な人には優しくしろ、
官僚は悪い気がする、
日米安保は悪い気がする、
自民が日本をダメにした気がする、
政権交代すれば良くなる気がする、
――誰かがなんとかしてくれる
こんな感じの、日本人の幼稚な政治観が
乗り移った概念上の存在に見えてきた
テレ朝で紹介されていた、事業仕訳を見学した某女子高生の感想。
「ダイエットすると言って、脳みそから減らしている。」
女子高生»»»財務省とその関係者(仕訳人等)及びマスコミ
事業仕分けを見学した某女子高生の感想 : 2chコピペ保存道場 (via mxcxrxjapan) (via westbug) (via loopdrive) (via theemitter) (via yaruo) (via yoosee) (via komahiko)
うまい
(via tnoma) (via tatsukii) (via fukumatsu)
山田くん、座布団1枚!
(via aokie)
(via toukubo)
(via otsune)90年代、四つ打ちの音楽は全部“テクノ”と勘違いされている時期があった。その頃、僕はUKのハウスにハマっていたし、むしろトランス的な音を創っていたのだが、“テクノ”に分類されて、説明に困ることが多々あった。Xtra(Yo-Cと僕が、新宿リキッドルームでレジデントDJをしていたパーティー)にNHKの取材が来て、「KEN ISHIIさんをどう思いますか?」みたいな質問を延々とされて、「いや、僕らがやっているのはUKのハウス・クラブやゲイ・クラブの日本版であって、テクノじゃないんです。クラフトワークじゃないんです。もっと快楽主義的なものなんです」なんてやりとりになってしまったことさえあった。
朝日新聞が、Fatboy Slimを“テクノ”と紹介していたのも覚えている。
その痕跡は、今でも日本版Wikipediaなどで見ることができる。ビッグビート系のアーティストまでテクノ扱いしているのは、ジャンル分けに正解などないにしても、訂正が必要だと思う。
今は、その“テクノ”役を“エレクトロ”が引き受けている。シンセが入っていれば、“エレクトロ”と呼ばれてしまうのだ。
僕は“テクノ”と“エレクトロ”の間には、意外に大きな溝があると思っている。
それは、メンタリティーの違いから発生する。
シンセを使いながらも、むしろ有機的な存在である“エレクトロ”が、USでB-MOREや、ヒップ・ホップと融合してエレクトロ・ホップになったのは、その流れで考えると自然なことだ。
最近のエレクトロが、ノイズの組み合わせというパンク的な方向や、オーガニックなリズムを志向するのも、おかしなことではない。
“テクノ”と“エレクトロ”は近くて遠い位置関係にある。それが面白い。
LOUD編集局長ブログ (via discorockin) (via shusdiner) (via mxcxrxjapan) (via neknee) (via ikumikumi) (via marusa) (via loopdrive) (via junkyokohama) (via kz-lt) (via ajiponn)
Permalink修正
(via otsune)

